私は,2004年11月から2006年3月にかけて,第46次南極日本南極地域観測隊として,南極観測に参加させていただきました.そこで経験したことをブログにまとめ,南極の自然や南極観測の意義などを広く皆さんに発信していきたいと思います.
初回は,南極へ行くことになった経緯についてまとめました.南極へ行ったという話をすると「どうして南極へいくことになったのか?」という質問をよく受けます.それについて書いてみたいと思います.
南極観測に参加する理由は?
まず最初に質問です.
なぜ南極観測に参加することになったのでしょう?
みなさんはどう思いますか?自分なりに予想してみてください.ちなみに,正解することが目的ではありません.(もちろん目的でも構いません)自分だったらと置き換えて,この記事を読んでいただくと,より良いかなと思います.
こういう質問を受けたときに「何だと思いますか」と問い返すと,「子どもの頃から南極に興味があったから」とか「南極に行くのが夢だったから」などの答えが返ってくることは比較的多いように思います.やっぱり夢や目標を実現するというのは,多くの人が聴きたい話なのでしょう.
私が南極観測に参加したきっかけ
では,私の場合をお話しします.結論を言ってしまうと,当時,所属していた奈良教育大学の地球物理学研究室で,指導教員をしていただいた谷口真人先生が,急に研究室のメンバーに「誰か南極行って研究してみないか?」とおっしゃったことがきっかけです.そして,それに手を挙げた私は,南極観測に参加することになりました.つまり,答えは…
研究室の指導教員に勧められたから
そう答えると「南極について研究する研究室だったのですか?」となるのがパターンです.ところが,研究室では地下水を主な研究テーマとしていました.大陸の上に大規模な固体の水が存在する南極に対して,こちらは地面の中にある,しかも液体の水である地下水です.一見,南極とは遠いように思います.そこで当時の研究室を少し振り返ってみます.
私が研究室に入った頃は,奈良盆地や大阪平野,琵琶湖などの地下水を扱った先輩方の修論・卒論が並んでいました.そして,琵琶湖や大阪湾に調査に行くとなると,誰かの車に分乗しちょっとテンションが上がる小旅行といったところでした.どこにも南極というキーワードは出てきません.
ただ,研究室は,どんどん発展していく時期にはあり,私の卒論は熊本平野の地下水調査(上の写真),同期の子は琵琶湖と富山湾,そして後輩が京都,静岡と全国各地に進出し始めた頃でした.昔,琵琶湖や大阪湾へ出かける先輩についていくのがワクワクしたことが懐かしくなるくらい,年々,調査地域は広がり,研究室に貼ってあった日本地図カレンダーに,押しピンで観測場所を指すのが楽しみでした.
そして,大学院に進学すると,私はカムチャッカ半島の地下水調査へ,後輩は東南アジアやブラジルまで調査へ出かけてる機会がありました.本当に,いろいろな場所でのフィールドワークや学会発表・研究会など,多くの経験をさせていただいた指導教員と大学には,とても感謝しています.
ただ,ブラジルという地球の裏側まで後輩が調査に行ったから,次は南極大陸か…なんていうことは,さすがに想定外でした.
そして,ある日,極地研究所の澁谷和雄先生(後の指導教員)が研究室を訪ねて来られます.学会で私の研究室の研究内容をご覧になり,南極でも同じような観測をしてみないかと相談にいらっしゃったようです.元々,お知り合いではないようなので,学会の役割としては自然な流れというものの,突然でてきた話とも言えそうです.
隣の教員室でどんな話があったのかわかりませんが,その後,南極の話になりました.研究内容の詳細は,長くなるので他の機会にしますが,予想もできない出来事でした.
南極と関係なかった私の人生
「人生は何が起こるかわからない」と言いますが,私自身は南極へ行く機会など考えたこともありませんでした.さすがに,南極大陸の存在は知っていましたが,せいぜいオーロラを死ぬまでに見てみたいと思ったくらいです.しかも,考えていたのはカナダやアラスカでしょう.
思い返せば,私自身はあまり夢や目標を持ちませんでした.小学校から高校まで地元の公立学校に通い,成績で何となく進学し,しかも高校では文系を選択していました.割と好きだったのは社会科でした(笑).そこから考えても,地球科学(地学)に興味を持ち,地下水を研究することすら予想もできないくらいです.
高校生活も後半に入ると,進路の選択を迫られるようになりますが,あまり方向性は見いだせず,少しは興味のあった環境問題を学ぼうと思っていました.最初は専門学校へ進学するつもりでしたが,両親に「専門学校へ行くことは止めないが,大学へは行った方が良い」と言われました.私の進路について,両親が強く意見したのは,後にも先にもこの時だけだと思います.
確たる目標もなく,親もそう言うのだから,せめて経済的に迷惑がかからないように,漠然と国公立大学を目指しました.受験勉強は大変でしたが,蓋を開けると奈良教育大学の教育学部の総合文化科学課程(いわゆるゼロ免課程)に進学…そこには環境問題を学ぶ環境科学コースがありました.
その環境科学コースには,社会科学的なアプローチをするコースと,生物と地学を中心に自然科学的なアプローチをするコースがありました.今思えば,私がイメージしていたのは社会科学の方だったようにも思いますが,私は自然科学の方に入学しました.
大学に入ってからも,すぐに地球科学に興味を持ったわけではありませんが,いろいろな授業やフィールドワーク,仲間と出会いながら,先ほど紹介した地球物理学研究室に入りました.そこで,さらに様々な活動をしていく中で,やがて地球科学に興味を持つようになりました.
やっぱり着々と南極に近づいているようには思えません(笑)必然とは思えない,この偶然のきっかけが私の人生の方向性を変えたのは間違いないでしょう.
南極行きの理由は人それぞれ
ところで,南極観測に参加する方は研究者だけではありません.まず基地を維持・管理するにあたって設営と呼ばれるその道のプロの方がいます.
例えば,基地内の設備や雪上車などを保守・管理する機械隊員,南極料理人でも話題になった調理隊員,健康管理と命を預かる医療隊員などが観測隊の一員です.また,南極へ物資と隊員を運ぶ砕氷艦「しらせ」は,海上自衛隊が運航しており,多くの海上自衛官も参加します.意外と多くの人が南極観測に関わっており,もしかしたら,皆さんの身近にもいるかもしれません.
そして,色々な人が参加するということは,南極観測に参加する理由も多種多様です.南極大陸に魅せられ,何年もかけて努力して,やっとのことで南極行きのチケット得た人もいます.長年にわたり,観測隊員を派遣してきた経緯があり,自分にその番が回ってきた人もいます.たまたま南極観測で必要性が生じて,急に駆り出されて参加した人もいます.私もそれに近いかもしれません.さらに,海上自衛官のように,自衛隊に与えられた任務の一環として,はるばる南極まで航海をする人たちもいます.
よくよく考えてみると,南極が特殊な場所なので,理由も特殊であるように思ってしまいますが,大学でも会社でもそうであるように,様々な理由ときっかけがあるわけです.
最後に,最初の質問に戻ります.私の特殊な経歴を聞いて,とっさにどんな風にして南極観測隊になったのだろうと期待を持って質問されることが多いだけに,それなりの答えもないので「道を歩いていて,たまたま落ちていた南極行きのチケットを拾ったようなものです」と答えることが多いです.
でも,本当にそれだけなのです.それでも何かあるでしょうと聞かれる方には「自分の置かれた環境で,興味・関心を持って色々なことを経験し,視野を広く持つようにしていたことは影響したかな」と答えています.
ごくまれに,南極行きのチケットは,偶然,道に落ちていることがあるようですが,その道を歩くことと,落ちているチケットに気づくことは,偶然だけではないかもしれません.
(参考)国立極地研究所のホームページには,観測隊員の公募情報も出ることがあります.興味のある方は,覗いてみてはいかがでしょうか.
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